ごあいさつ

美ケ原温泉。古くは「束間(つかま)の湯」と呼ばれ、日本書紀にも記された歴史ある温泉地。
「束間(つかのま)」はその歴史の中で400年の風雪に耐えた土蔵の風情を感じる「こでまり」と、
モダンで自由な宿泊体験のできる「おおでまり」の全く異なる2つのコンセプトを持った一棟貸しの宿です。
楽しいひと時はすぐに過ぎ行くもの。
すごした時間があっという間だったと感じる宿、それが「別邸 束間」の目指すものです。

御宿 石川の歴史

美ヶ原温泉は千三百余年の歴史を有し、江戸時代までは山家(山辺・やまべ)の湯と言われ、平安時代の歌人も「白糸(しらいと)の湯」「束間の温湯(つかのまのみゆ)」と歌った歴史ある温泉地です。
束間の温湯の名は『日本書紀』の天武天皇14年のくだりに見られ、病の療養のために信濃の束間の温湯に行幸される計画を立てていたという事です。
近隣の浅間温泉とともに古くから開かれた湯治場であり、この束間の温湯とは筑摩郡内の温泉、すなわち当時あった信濃国府近くの浅間・山家温泉郷のことであろうと考えられます。

山家も浅間も江戸初期の石川氏時代から明治維新に至るまで、代々城主の湯殿が設けられていました。「山家茶屋」「浅間茶屋」と呼ばれるもので、広大な敷地を持つ御殿でした。
御殿を管理するものは「湯守(ゆもり)」と呼ばれ、御宿 石川の当主は江戸初期より初代松本城主、石川氏の子孫として石川湯宿(とうしゅく)の名を拝し、湯守の役目を担ってきました。

こでまりの由来

こでまりの名称は、大正14年、付近一帯を焼く大火が起き、御宿 石川の長屋を含めたほとんどの建物が焼失する中、土蔵と一株のこでまりの木だけが火災を免れたという逸話に由来します。
災難に見舞われながらも残る土蔵・こでまりと、コロナ禍に耐えぬく今とを重ね、「蔵の宿こでまり」の名をつけました。

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